今日の夕飯では「麺」の話題になりました。相手は、神戸生まれの妻です。
わたしは、高校卒業後田舎から東京近郊にきて、もう40年がたちます。はやっ。
自分の「食」文化、特に麺の味歴史は、高校までほぼ「ラーメン」と「蕎麦」のみ。関東なのでうどん文化圏ではありません。当然西文化の妻とは、食べ育った麺ヒストリーが違いました。
私の麺歴史
昨年亡くなった父は特に蕎麦好き。子供の頃夕飯に街の蕎麦屋に寄った記憶が残ってます。なぜ覚えているかというと、子供には不親切なメニュー書きが、お店に短冊でかけられていたからでした。
もり、かけ、たぬき、きつね‥ 誰か、何がでてくるか説明してくれ!
という子供のちっぽけなこころの声は届かず、誰でもわかる鍋焼きうどん、とかカレーうどん!など選んでいたので不満でした。
もっと子供らしくワガママで良かったのに、早く選べ、という同調「圧」に負けてました。
そうだ。田舎にありがちな中華メニューもある蕎麦屋だったので、母だけなぜかタンメンを頼んで食べる時に、「あれだ。次はアレだ」と思いつつ、次行った別の日には「あれ」の名前を忘れて、いつもの‥だったことを思い出しました。
「麺」に対する憧れは、大学4年のバイトで見事に成就しました。本格的なイタリアン料理。しかも当時渋谷に出来た「パスタ」の店の味ではありません。
タリアテッレ、スパゲッティーニ、ニョッキ、ペンネ
全て新鮮な麺との出会い、しかも生まれてはじめて食べるようなオリーブオイルと食材の絡み方がとにかくおいしい。アルデンテの意味も「提供」してはじめて本当の意味がわかりました。
客の舌に入るまでの時間と食感を考え、茹であがりの「秒」までを計算して提供できるシェフ。
それを運ぶスタッフにも、サービスのクオリティを要求する姿勢。
その頃の自分には全てが新鮮で感動する体験でした。「麺」がつないだ縁としか思えません。
妻の麺歴史
妻の麺の記憶は、これまた昨年に天国に行った母の夕食のパスタだったそう。ハイカラで博識だったお母さんの作るメニューが、何と昭和30年後半でアマトリチャーナだったことが何よりも驚愕です。
レシピも当時あった神戸のイタリアンのお店で働く外人シェフが出していた本のもの、という本格派ならば、夕食ででてきてもおいしく食べられたことでしょう。いいな〜
これもそれも、明日ランチで食べる予定の「ジェノベーゼ」パスタにする?というところから、大きくワダイが飛躍しました。
ひとの歴史も食の歴史もそれぞれ。
腹ペコで何食べる?と選ぶときに、何でもあるのはある意味、今の人の方が「ふしあわせ」なのかもしれません。
ワンコイン赤ワインが溢れる現在、ひとりごとでした。